female Champions

deuce

レシーブ側がギャンブルにでるのか・・・、
サービス側がどれだけ平静でいられるか・・・、
最も心理戦の要素が強いポイント。

スピンサーブへのフォアからのリターンがやや浅めになったところを逆クロスに強襲しながらアプローチ。
上がりきらないロブをクロスコートにバックのハイボレー。ここはコースと深さだけを意識する。
警戒していたパッシングに飛びつきドロップ気味でアングルに落とす。

一見何の変哲もないプレーだがここでは最大の武器になる。

about us

ネットで挟まれた向こう側とこちら側・・・

状況が好転してくれると冴えてくる。相手の戦略・コンディション全てが手に取るにわかる。 これが逆の状況だと最悪だ。

エンドラインぎりぎり、センター寄りに立つ。
ボールを2度コートに弾ませる。
左腕とともにボール真上に放る。

膝・腰・肩・腕の順に屈曲から伸展に移行する。
つま先から地面が離れた直後、ボールを真後ろから叩く。

ボールがつぶれる感触をグリップ越しに感じる。
感触だけでエースかどうかが瞬時に分かる。

モーリーン・コノリー

モーリーン・コノリー(Maureen Connolly, 1934年9月17日 - 1969年6月21日)は、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ出身の女子テニス選手。 1953年に女子テニス史上初の年間グランドスラムを達成した選手である。身長160cmほどしかない小柄な体格だったことから、“Little Mo”(リトル・モー)という愛称で呼ばれた。

1951年に全米選手権で4大大会初優勝を飾り、以後1953年まで大会3連覇を達成。1952年から1954年までウィンブルドンにも大会3連覇。1953年は全豪選手権でジュリア・サンプソンを破って初優勝を飾り、全仏選手権、ウィンブルドン選手権、全米選手権の3大会連続でドリス・ハートを決勝戦で破った。1938年にドン・バッジ(1915年 - 2000年)がテニス史上初の年間グランドスラムを達成してから15年後、コノリーは女子選手として初の偉業を達成した。1954年にも全仏選手権2連覇、ウィンブルドン選手権3連覇を達成している。1954年の全仏選手権では、女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3冠を獲得する「ハットトリック」達成もあった。この大会のダブルスではオーストラリアの選手たちとペアを組み、女子ダブルスはネル・ホール・ホップマン(ハリー・ホップマンの夫人)、混合ダブルスはルー・ホードと組んだ。

しかし1954年のウィンブルドン3連覇の後、全米選手権を迎える直前に、コノリーは乗馬の最中にトラックにはねられて足に大怪我を負い、わずか19歳の若さで選手生命を絶たれる。この悲劇の後、彼女はノーマン・ブリンカーと結婚した。やがて彼女の足は生活に支障をきたさなくなり、テニスのコーチを務めるところまで回復した。1968年に国際テニス殿堂入りを果たしたが、翌年の1969年6月21日に癌のためテキサス州ダラスにて34歳の短い生涯を閉じた。

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